森会長

森会長

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の発言に「どこか問題でも?」と感じる方もいらっしゃると思います。

少なからず私は、日本を代表なさる方なのに残念な気持ちです。なぜなのかということを私が勤めていた時のことを織り交ぜて書きたいと思います。

私の元職場は男性が多い職場でした。

近畿地域の副支店長会議のような場に出席した時には、出席者20名ぐらいの中で女性は私一人でした。

「これについてご意見ありませんか」という場で、他の出席者の発言の後、「では女性の意見も聞いてみましょう」と私が指名されました。その頃、私はそのような会議に慣れておらず、また、自意識過剰かもしれないですが、他の出席者の「お手並み拝見」のような雰囲気に飲まれてしまい、思う意見の半分も伝えられず、私の発言の後の司会進行の方の顔は「やっぱり」みたいな表情でした。

それから10年以上がたち、今度は支店長(のような)のポストに就きました。女性の管理者もけっこう増えてきた頃です。

事務所内の管理者ミーティングでは、その場の長として、突飛な意見も面白いといいながら拾い上げ、事務所内の業務をみんなで話し合って進めていきました。問題が起こった時には、私一人では思いつかないような解決策で乗り切っていきました。

ある日、本店から課長さんが来て、主立った管理者を交えて私の部屋で打ち合わせをしていた時に、「トップを差し置いて、みんなが意見をいうのに驚いた」と言われました。

その言葉を私はポジティブに捕らえて、みんなが意見を出すことを良しとして、それをお褒めいただいたと受け取りました。しかし、森会長が同じ状況をご覧になったら、「話しが長い、まとまらない」と思われるのかもしれません。

そのミーティングは、普段どおり、おのおのの意見を言うことへの許可がある場であったと思います。お互いの発言に触発されて、次々とプロジェクトの意見が出されました。

きっと森会長の会議には、いつも参加者の忖度が働いていたのだと思います。旧態依然とした会議では、長への忖度が働き、短時間で全会一致でものごとが決まっていくことが良しとされたのだと思います。

私は先輩から、成功体験の賞味期限は短いと教えられました。今は時代がどんどん変わっていくから、前にうまくいったことでも、今はそのとおりにはいかなくて、反対に、以前のやり方を長がいいと言って進めていくことは、デメリットはあっても、いいことはちっともないと言われました。いろいろなところから意見を求めるべきだとも。

私のいた職場は、女性の意見だけでなく若い人や年配の人の意見も取り上げたいという気持ちを持った方が多くいました。新しい時代に対応できるように仕事がどんどん変わっていきました。

マスコミでは森会長のことをシーラカンスと表現しているところもありました。しかしシーラカンスは時代に対応できたから生き残っているのだと思います。

森会長が、どうしてご自分の発言が問題だったのか、ちゃんと気がついて欲しいと思いました。

写真は内容と関係ないですが、徳之島の戦艦大和慰霊碑です。